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悟ってもいないのにあたかも悟っているかのごとく物を申す人の話は聞くに耐えない思いをなさる方が多かろうと思います。 かと言って、「所詮、凡夫は悟り得ないのだから大いなるものに一心不乱に祈り続けることによってのみ安心立命が得られるものである。従って小賢しくあれこれ物を申すことは無用だ。」と言うのもこれまた無体な話ではないでしょうか? 「あれこれ考えずともあるがままの姿が安心立命なのだからそのことを体得するために只ひたすら独り静かに座れ」と言うのも自己暗示の中で独り満足しているだけのような気がしてなりません。 「この世はありがたいのだから感謝しましょう!」と突然言われても今苦しみの真っ只中にある人にとってみればむしろありがた迷惑に聞こえてそれだけで心の扉を閉ざしてしまわれる方も多いと思います。 そもそも「煩悩を滅却して解脱し安心立命が得られることが悟りの境地だ!」と大上段から振りかざされても「心頭滅却すれば火もまた涼し」と感じられないのが人間の姿であることを考えてみれば、煩悩を滅却できないことを前提に自分自身を考えざるを得ないのではないでしょうか。 菩薩行とは己の煩悩に正面に向き合って決して逃げずに、今のあるがままの己を表現して“苦しみ、そして喜び“力強く生き抜くこともその大きな目的の一つであると思います。 こういうふうにあれこれと考えて見ましても、法華経という大乗経典は一見、非現実的な神話のように思えますが、読めば読むほどその究極の言わんとすることの意味は実はあらゆる娑婆世界の事象に直結した深い内容で、力強く人生を生き抜くためのわれわれへの応援歌として、その具体的な方法論を説いていると思います。決して死者の魂に対して読んで聞かせるような内容ではなくて「正に今、生臭く生きている我々人間に対して」の約2000年もの昔に編纂されたより良く生きて行く為の智慧を集大成してくれた先人の贈り物であると思いますがいかがなものでしょうか? |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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朝顔や安心立命ほど遠く たか志 |
老司たか志 2006/07/28 09:26 |
老司たか志さま |
寛人 2006/07/28 22:07 |
帰るなり畑に直行赤トマト たか志 |
老司たか志 2006/07/29 11:23 |
老司たか志さま |
寛人 2006/07/30 10:13 |
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