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zoom RSS 柳生家の家訓 「縁」 について

<<   作成日時 : 2006/02/05 03:41   >>

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ある日、私の親しい友人のTさんから「こんな言葉を見つけましたよ。」と一枚の紙切れをいただきました。それは新聞に載っていたその言葉をワープロでB5版に横書きに大きく打ち直したもので、こう書かれてありました。


[ 柳生家の家訓 ]   (沖縄タイムス掲載)

小才は、縁に出合って縁に気づかず。

中才は、縁に気づいて縁を生かさず。

大才は、袖すり合った縁をも生かす。


私はこの言葉を最初読んだ時に、通常「縁」とはある特定の人との出会いの不思議さのようなものを意味する言葉と解釈して「なるほど、袖すりあう程の小さな出会いであってもそれを大事にして生かせということを柳生家の家訓としているのだな。それにしても老舗にして大店(おおだな)の商家であるならばいかにもそれらしく良く理解できるけれど、徳川将軍家おかかえの剣術指南役の家の家訓にしてはずいぶんと異色なものだな。」と妙に気になりました。

しからば「縁」という言葉に、通常使われている一般的な意味以外に自分の気づいていない深い意味があるのではないかと思いたち早速国語の辞書を引いてみました。するとそこには日常会話で使われている意味のほかにこう書かれておりました。

「縁」仏教用語。
物事は原因によって結果を生じるが、その原因を助成する事情や条件などの間接的原因。

しからば「才」とは何か?通常の天賦の人間の資質の意味と解釈すれば才が恵まれないで生まれてきた人間にとってはそれこそ縁の無い話ではないか?そこでこれも辞書を引いてみました。すると通常の意味の他にこう書かれておりました。

「才」 学問。智慧。能力。

何と、これらの言葉を羅列してその一つ一つをかみ締めながら柳生家の家訓の全体構成を再度考え直してみますと「決して天賦の資質ある人だけのための言葉ではなくて、たとえ凡人であっても」学問、智慧、能力に励みさえすればその結果、最高レベルまで来た人間は、結果を生じる原因を助成する事情や条件などの間接的原因を「生かす」ことを極意とする旨を気が付いた生き方をしている人(即ち生かすことができた暁はまさしく達人であり大才)になることを意味するではありませんか!これはまぎれもなく「在家者のための仏道修行項目(菩薩行)そのもの」でもあると気づきました。

確か柳生の剣は殺人のための剣ではなくて活人剣と言われています。そうなんだ!対峙した相手はもちろんのこと、「縁」を自分自身の存在をも含めて考えて「自分自身のどんな小さな可能性をも大事にして磨いて生かし」、「袖すりあうすべての人生に係わる一刹那の原因を大事にして生かし」、そして何もしないでぼんやりしているといわゆる弱肉強食の浮世では己の怠惰心や宿敵や社会すらも己を潰(つぶ)しにかかってくるから、それらを振り払えるだけの力量をつけるべく常に努力をして研鑽を積み、その上でこんどは「襲い掛かってきた相手を決して抹殺しないで己と相手とを共に生かすことに活路を見出すこと」の重要性を説いたものではありますまいか。なるほどこれはさすがに天下の柳生家の家訓だ!早速自分自身もこれから柳生家の使い手のように真剣に修行に励もうではないか!と気持ちをあらたにいたしました。これは生き方の極意でもあるような気がしますがいかがでございましょうか?

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