ホオジロのさえずり

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help リーダーに追加 RSS 早期英語教育について

<<   作成日時 : 2006/10/01 22:06   >>

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安倍新内閣は教育改革にまず力を入れたいとの方針を打ち出し、その担当大臣にはベテラン議員を当てたいとの安倍新総理の強い意向から慎重に人選した結果、新しい文科相に伊吹文明氏が起用されました。将来の日本を背負う大事な子供達への教育の根幹に係わる改革であり、学級崩壊に代表される子供達の心の荒(すさ)びが大きな社会問題になっているだけにこの教育改革に携わる伊吹氏が就任後にどんな改革の考え方をまず披露するのかについて大変な関心を持って私は待っていました。

ところが中教審が答申した小学校5年生以上での英語必修化について去る9月27日に「まったく必要がない」との表現で簡単に切って棄てた発言が新聞報道されたことには大変驚きました。グローバルな社会がどんどん進む中にあって、自分達の日本の美しさをだけを中心に考えるよりも、国際社会の一員としてどうあらねばならないかを「まず体で学ぶこと」がこれからの国際社会で生きていく上でとても大事な教育上の要件であると思います。英語はいやがおうでも、もはや国際語となっています。そして日本語とは基本的に文法が大きく異なる上に、アルファベットが並ぶ英語の表音文字に対して表意文字たる漢字が主体の日本人にとってその学習開始は頭の柔らかい児童の早ければ早い程、効果が高いことはあきらかであります。

ところが同文科相は「@美しい日本語を話せないのに外国語をやっても仕方がないA必修で教えるべきことが教えられていない。」との二つの理由をあげて否定の根拠としています。でも唐突に「まったく必要がない、時期尚早。」と言ってのけたことに対して、これだけでは納得できません。「古い頭の先入観の持ち主」なのではないかとの疑念さえ感じます。これだけの重大な事を二の次にするためには何が一番大事なことで、どうして小学校の単位ではそちらに廻す充分な時間が無いからそうなるのかの説明を国民に対してもっと熱く語っていただきたかったと思います。心の荒(すさ)びを直すべく教育の根幹にメスを入れること、美しい日本語を話すこと、これらが大事なことは言わずもがなであります。

美しい日本語を話せるようになること自体は小学校時代だけの課題ではありません。中学校、高等学校、そして一生の課題でもあります。今の小学校教育で教えられていない重要なことが何であって、それが故にどれほどの時間が現状ではとれないのかのもっと具体的な説明が欲しいのです。従って小学生にとって相手を体で知ることにもつながる英語の義務教育に対して時期尚早であるとの彼の唐突な意見に対しては到底納得できません。

@心の荒びの修復A美しい日本(語)の教育B国際化への対応即ち早期英語教育の三つのことを何故同時に今の教育現場で成就できないのかの充分な説明と、そしてどうしたら小学校の教育現場でこの三つを同時に成就できるかの知恵を国民は望んでいると思います。今回の発言は同氏の文科相就任の政治姿勢を表すものであるとしたならばあまりにも拙速にして一般の国民の理解を得るには不十分であるとの印象を受けましたが、いかがなものでしょうか?

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タイトル (本文) ブログ名/日時
戦前の鬼畜米英教育?
伊吹文部科学相は27日、新学習指導要領の焦点の一つになっている小学校での英語必修化について、「私は必修化する必要は全くないと思う。美しい日本語ができないのに、外国の言葉をやったってダメ」と話し、否定的な見解を示した。 ...続きを見る
真夏のジャニス。
2006/11/03 22:45

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コメント(26件)

内 容 ニックネーム/日時
私は早期英語教育は概ね賛成の立場です。
ピアノ、バイオリン、将棋などは一定の年齢(例えば6歳)以前に開始しないとプロにはなれないと聞いています。語学についても開始するにふさわしい年齢があるように思います。やはり幼稚園か小学生低学年段階のどこかではないでしょうか。

日本語が固まっていない段階での英語教育は混乱の元との意見があります。それなら、6歳でバイオリンを始めた子供の脳みそは混乱してしまうのでしょうか?
いや、そんなことはありません。むしろ逆でしょう。バイオリンと言語の発達は相乗効果の関係にあるのでしょう。楽器だけではありまん。子供の頃に自然の中で育った者は、人間の言葉だけでなく、小鳥や虫の鳴き声をよく覚えます。この者は頭がいかれるでしょうか?

言語は音楽に近いと私は考えます。ヒアリングや発音は正に音の世界です。日本における過去の英語教育にもし問題があったとするならば、それは英語を「音」の面から捉えてこなかったからではないでしょうか。それに、人の脳みそは膨大な情報量を収容することができます。日本語プラス英語ぐらいでダウンするような柔な組織ではありません。
新進
2006/10/02 20:23
この問題は、時として議論が飛躍し、文化、文明論まで発展します。賛成派は、一言で言えば「現実に英語が必要だから」、反対派は、「国語を小さい時にしっかり学習させることの方が大事だから」というものでしょう。両方とも正論です。それを小学生からやらせるかどうかは、わざわざ文科省がしゃしゃり出なくとも都道府県の教育委員会に判断を委ね、実施の方法もかなりの裁量権を与える、のでいいのでは。問題は、早期英語教育と関係なく、今の小学校国語教育がうまくいってるのかどうか。今の中学校からの英語教育がこのままでいいのかどうか、です。現場をつぶさには知りませんが、授業時間、先生の資質、教材の選び方など改善すべき点は、山ほどあることでしょう。中学校からの英語教育については、資格のある英語を母国語とする外国人教師を現在の10倍ほど都道府県で採用してもらう必要があります。その外国人に英語だけでなく、算数、理科、体育なども担当させる。英語は音楽と同じ、これも同感です。
コアラ
2006/10/02 20:31
じゃあ、これで日本の英語教育は大丈夫かー。残念ながら英語は学校で学んだだけでは、’お稽古ごと’で終わってしまいます。英語は、本を読むことと同じで、常に継続して、日常使わなければ上達しないに決まっています。しかも、英会話だけ、というのは最悪。英語は読み書きがとてもとても大切。それを、おろそさかにした人が喋る内容も推して知るべし、です。
コアラ
2006/10/02 20:32
最後に、わが家の家庭の事情をちょっと紹介。今年11月に31歳になる長男は、小学校6年の三学期を終え、オーストラリアへ渡りました。現地の小学校最終学年(Grade7)に編入し、同時に英語を非母国とする移民の為の英語学校に半年通い、翌年から中高一環のGrammar Schoolに入学。さらに大学に進学、卒業し、最近は日本国籍を捨て、’オーストラリア人’までなりました。さーて、お立会い。この青年の英語、日本語能力はどうなったでしょうかー。親の採点はこうです。まず英語。日常会話は、ネイティブ並みでこそあれ、読み書きは、恐ろしいほど「こんな程度?」です。第一、本を読まない。英語で書いた手紙の稚拙さ、スペルは間違い、文体などありやしない。ああ、恥ずかしい。じゃ、日本語は?小学校までだから、推して知るべし。会話は一見、日本人並みながら漢字の訓読み、四文字熟語ときたらまるで分かりません。その親子のコミュニケーションの難解さ、想像を絶するほどとなりました。

結論:息子の日本語、英語はともに中途半端。親泣かせ。もう知らん。語学は、自分で納得して自習するもの。できれば自然に、です。
コアラ
2006/10/02 20:34
小学校での英語についてですが。。。。
実はこの問題に関しては長い間ずっと興味あり、考え中なんです。それで今のところは、ですが結論としては「総論賛成、各論反対」です。

なぜ各論反対なのか。
新聞マスコミで見聞きする現在の学校での学級崩壊、或いは家庭での教育力低下を考えると、これは英語どころではない、と思うからです。
2,3日前の産経の記事ですが、ヤフーにも掲載されていましたのでお読みになった方も多いでしょう。高級外車に乗り携帯に月何万も払っていながら「給食費を払わない」親がいる。払ってくれと言うと義務教育なのになぜ払うのかと言う。或いは給食を出してくれと頼んだ覚えは無いとうそぶく。。。
ではお宅のお子さんの給食を止めます、と言うと「やれるものならやってみろ」と脅す。
沢山の学校で教職員が立替をしているが結局踏み倒されているのが実情。仕方ないので給食の質を落として少しでも費用を掛けないように自衛しているそうです。今はまだ新聞記事になるくらいだから少数でしょうが、これから益々こういう非常識な親が増加するでしょうね。
美枝子
2006/10/03 01:06
給食の問題だけではないようです。自分の子供が何々さんとの相性が悪いから一緒のクラスにするな、そばに席をするな、など親が先生に口出しする。通らないと教育委員会に電話をる。
成績表にまで文句をいい、実際に直させた事例があるそうです。運動会で子供のお弁当を作らないでお寿司、ピザを注文して学校に配達させるのなどは最近はもう茶飯事とか。
親だけではありません。先生が生徒をリードする資質が無くて生徒達が授業中、走り回る、騒ぎ回るで勉強どころではない。携帯電話も最近の事件の多さで持ち込み禁止ができない事情があって子供たちが授業中ゲームをやっり、、、それでも注意できない、指導できない先生が増えている、そういう生徒と先生両方による学級崩壊が決して珍しくないそうです。私立ならそういう生徒は退学させられる、先生も勿論首です。公立はそれができない。そういう問題点を多く抱える今の公立小学校で果たしてただでも
少ない国語の時間を犠牲してまで英語をする必要があるのか?
美枝子
2006/10/03 01:09
英語の音は日本語に比べて圧倒的に子音がい。無声音、破裂音も多い。音域が日本語に比べ広い・深い・複雑というのは事実ですから新進さんの仰る通り幼いときに沢山聞かせ慣らせれば聞き取りがもっと楽にでき(それが最大の日本人の弱さですよね。私も含めて)ひいてはある程度までの英語習得に繋がるのは確か。だから幼いときに日本語以外の音に触れさせるというのは全く正しい。そういう機会を若いときから多く与えて日本人の世界に冠たる英語コンプレックスを是非取り除いてもらいたい。
でも、それを実際にどう実行していくのか、それが問題で今の公立小学校ではまずもって無理でしょう。ネイティブの先生を各学校に必ず配属するなんてまだまだ夢物語です。結局日本人の先生が、発音もよくできないのにと(批判ではないですよ)悩みながら、大変な思いをしながらやっていくしかない。そこまで現場に負担を掛ける意味があるでしょうか。
あの有名なアポロのときの同時通訳者の鳥飼久美子さんは大反対ですね。英語よりまず日本語、と言ってる。しっかりした日本語あって英語だと。
美枝子
2006/10/03 01:13
それと書誌学者として有名な我らの塾同期、林望さんも「日本語をしっかり学ばせるのが肝要。小学生での英語は百害あって一理無し、」と断言してます。彼は慶応を出て40歳過ぎてオックスフォードに行った人ですが頑張ってイギリス英語を身につけた。だから歳を取っても意欲があればできる、コアラさんのおっしゃることと同じ、「語学は自習」と言ってますね。
どちらかというといわゆる英語のプロに反対の人が多いようです。
英語はともかくとして私もホオジロさんの仰るとおり、伊吹大臣の「必要無し」との切り捨てには正直驚きました。こういう言い方は大変失礼ですが、それを承知で申し上げると、「一介のたまたま今回大臣になった人が国の根幹である教育問題に対し問答無用とばかり一刀両断するのはあまりに傲慢ではないか」と感じましたよ。ホオジロさんのご意見に100%同意します。
英語が必要なのは確かなんだから国家百年の計として様々な方向性から決めるのが筋ですよね。拙速に決める必要は全く無い、焦ってはかえって禍根を残すことになる。
美枝子
2006/10/03 01:18
今の子供達が受けている「ゆとり教育」、結局学力が酷く低下して弊害が出ているという事実を知ると余計そう思うのです。あのゆとり教育は「詰め込みは良くない、もっと個性を、自由を尊重しないとならない」ということでゆとりになったんですよね。でも失敗だった。
その時その時の刹那主義で教育が翻弄されるなんて許しがたいです。そうそう、小学校で英語必須にするとある弊害が出る可能性あり、これも新聞で読み、なるほどそうかもね、と思ったのですが、もし必修にすると英語を小学生に教える塾が当然ながら現れ(今でもありますが、もっと増える)そしてこれも当然のことながら、塾で英語を習える生徒と親の経済力で通わせられない子供との差が歴然となる、つまり格差ができる。それと「あいつは英語ができない」とのいじめにも繋がる可能性もある。平等を目指す公立の小学校でそれでいいのか、格差を小学校で認めるようなそんなことでいいのか。
美枝子
2006/10/03 01:24
結果、親、子は益々小学校からの私立入学を目指すようになり、公立は今よりさらに荒廃する。
あながち極論とも暴論とも思えません。
治安もまだ良かった、携帯も無かった私たちの時代とは全てが違う。

色々考えると英語どころじゃない、もっと大切なことが、やらなくては
ならないことが沢山あるのでは、と思うのです。
美枝子
2006/10/03 01:26
ご意見に賛同します。

日本人が世界に出る時だけでなく、外国人を日本に迎えるに当たっても英語は重要ですよね。
特に少子化が進んで海外からの優秀な労働力を受け入れていかなければいけないという時代に。
危機感がなさすぎですわ。ほんと。
sara
2006/11/03 22:48
saraさま
おっしゃるとおりですね。(好き嫌いにかかわらず)世の中はどんどん変わっていきますね。変なカタカナ外来語が美しかった日本語を壊してしまった事実を思えばグローバル化が進む現代社会において正しい英語を幼児の段階から頭に入れることは重要なことだと思います。かたくなな国境の無くなる時代はもうすぐ目の前に来ていると思います。
寛人
2006/11/04 16:38
ここから下記はチェロ奏者として国境を越えてご活躍中の水谷川優子様のENNE倶楽部の掲示板内にて本稿について意見交換した内容をみなさまのご了解を得て公開させていただくものです。大変貴重なご意見と思いますので是非お読みいただきたいと思います。
寛人
2006/11/15 20:30
早期英語教育は現場は慎重になっていますよ。
それ自体の趣旨はよいとしても、現状では英語の腕利きの先生でさえ概ね「賛成しかねる」です。
理由はもう繰り返さなくてよいでしょう。
伊吹先生の仰せになることは正鵠を射ていますよ。
北園
2006/11/15 20:30
北園さま
そうですか。現場は慎重になっており伊吹先生の仰せになることは正鵠を射ていますですか。貴重なご意見をありがとうございました。
寛人
2006/11/15 20:31
早期英語教育云々の可否はそれ単独では論じ得ない状況(おそらく皆さんが世論からイメージされる以上に現実は深刻混沌)ですので、興味のおありでしたら他の場で現状を踏まえてゆっくりと申し上げます。政治家に功罪はつきものですし、伊吹先生を文科大臣に登用されたことは、本気に取り組む意志(時既に遅しながら)の現れとお心得戴いてよいと思います。
北園
2006/11/15 20:32
私は、アメリカ人の友達に「英語を一言も話さなかったら、教育を受けていないとみなされる」ときつい一言を。外国人の友達がみんなで、「大特訓」でした。
自己満足で、第二外国語を使っている人同士との会話は、最近、何とかなるかなーと思っていたら、MITのお客様に「発音が悪い」「話し方が1本調子」と厳重注意。次回までの課題に。まだまだ「英語道」は続きそうです。
ねろおさんも言っていますが、「他国を知る」ということは、「自国をさらに知る」ということに思います。他国を知るためのてっとり早い共通言語が「英語」なのではないでしょうか?
ansumarin
2006/11/15 20:33
早期英語教育云々の件はまた別の場で申します。
軽々に書ける質量ではないので。ただ、結論を言えば言語道断。アタマでものを考えずに、まずは実際に学校現場と児童生徒の実態をご覧になって下さい。ご自身が教壇に立てば、まず文化立国「日本」を担い得るため(それは同時に本当の国際理解のため)に何を順を追ってしなければいけないか、自ずと痛感されるものがある筈です。「自国を知る」まして「他国を知る」など、途方もなく深遠な課題ですよ。私は一生かかってもできません。音楽もそうでしょう。世間話のレヴェルで真実を取り違えてはいけません。これは日本の大衆(世論)の悪癖です。
北園
2006/11/15 20:35
本当にこの混沌としてしまった世の中では何が正しいのかを見極めるのは一番難しい事。
職種、年齢、性別、そして社会的立場も関係なく私達の一人一人が、今、何を為すべきかを見極め、各自が出来る事を尽くしていく事のみでしか、国の未来は開けてこないと思います。
そして、実際に志がある方々は淡々とやるべき事に専念されているのです。大臣だって教師だって主婦だって大学生であろうと。
<何故こうなってしまったのか>を一生懸命分析し、原因を(まあ犯人みたいに)突き止め、そこを改革する。でも直ぐ同じ問題が形を変えて浮上して来るでしょう?<モグラ叩きゲーム>ではありませんか。どんなに妙案の様に思えても、結局は真実の智恵が介在しなければ根本の解決は出来ないのです。
neroo
2006/11/15 20:37
皆さんそうだと思いますが、私も音楽を通して一般人レベルで前出の事をやっております。国を憂えば憂う程に己の為すべき事に尽す、少年院を回りながら得た答えです。(勿論、社会におけるボランティアやチャリティ活動について述べているわけではありません)
私は偶然にも音楽の道を与えられましたが、これは普通の主婦だったとしても、やるべき事は同じと確信しております。
やはりここは皆様、同御意見でいらっしゃると思いますが、英語云々の問題ではありません。問題はもっと深い所にあるのです。
neroo
2006/11/15 20:38
「自国を知る」「他国を知る」。確かに深遠なことで、私の場合、そのフレーズから連想されたのは(古代ギリシャのアカデメイアに掲げられた)「汝自身を知れ」という言葉でした。他者を知ることの難しさも同様ですが、己を知ることも本当に難しいことですね。

ただ私の敬愛する日本政治思想史家の丸山眞男は或る弟子にこう言ったそうです。
「ドイツ語しか知らない者はドイツ語を知らないという言葉がある。同様に、日本語しか知らない者は日本語を知らず、日本しか知らない者は日本を知らない。したがって、日本を研究しようと思うなら、まず外国語を学ぶことが必要である。さしあたり、英語・ドイツ語・フランス語・中国語・朝鮮語を。そしてできれば蘭学を研究するためにオランダ語を、キリシタンを研究するためにポルトガル語を」
研究者向けとは言え、「さしあたり」で、5ヶ国語が列挙されていることに驚くばかりですが、異質なるもの(外国に限りませんが)との出会いが自己の省察へと向かわせるのでしょうね。
concierge
2006/11/15 20:40
いや、レスが続く続く
昨夜はオナカを空かせたアライグマが、今朝は栗鼠が餌くれーーー!と騒がしい我が家です。
じゃ、私の最後の遠慮していた一言を。。。
ーー母国語を使えずして何語も通じさせる事は出来ないーーのは世界中で認識されていること。
英語のテクニック云々以前の問題で、ご存知の様に中味がなければどんなにペラペラと話す事が出来ても、いやなおさらの事、不信感を抱かれます。(中味ペラペラ英語ペラペラの人は空恐ろしいものです)
今の小学生、中学生、高校生、大学生に触れていて…私は北園様が皆さんにお伝えになりたい事がひしひしとわかります。
皆様のレベル(仰りたい事、伝えたい事がはっきりとある大人と言う意味)ではお伝えになりたい事があって、英語はそれの伝達手段でしょう?
でも今の子供達は混沌としています。時代は刻々と変化しているのです。だから私達は自分たちの子供時代と比較しての発言は意味が有りません。我々一般人が学校教育だけをやり玉にあげるのは、責任を押し付けるのにわかりやすいからです。
neroo
2006/11/15 20:41
海外生活17年目に突入し、私は声を大にして申し上げます。
中味さえ有れば本当のところは通じます。究極的に英語のテクニックは必要なく人間として何を伝えたいか、<<<先ず根本の>>>そこではありませんか。それから技術。
現場の方々は切羽詰まっているのです。
この十一年間に様々な教育関係者と御縁を戴き、また音楽を通して現場を体験しながら考えてきた事です。(音楽の世界でも、既に私の学生時代にも類似問題が浮上していました。日本での歴史が浅い西洋音楽において、楽器を弾きこなす技術は日進月歩、でも音楽を表現するには???己が何を求めているかが自分ではっきりしなければ、いくら楽器が扱えても無駄です。私の時代に桐朋学園学長であった三善晃先生も悩んでいらした事でしたし、古今東西言われている事ですが、演奏屋、演奏家、音楽家が存在します。)
こういう大切な事ですので、電気文字に多少の不安を覚えながらも思った事をかきました。
neroo
2006/11/15 20:42
私は今、久し振りに心に大きな支えを戴き感動しています。「志」を掲げ奮闘しつつ、正直「もうあかんわ」と時世にジリジリ追いつめられる自身がいます。ねるおさんに、驚くほど真芯から胸憶を汲んで戴き代弁して戴いたのは、この上ない励みです。
音楽を通じてしか殆ど交流はござりませんのに、たしかに音楽は言葉を超えて心を通わせるのですね。いずれにせよ掲示板に記せる質量でないので、時間のある折に私見は「月華抄」で記します。
ちなみに、今どきの高校生にしては最優等生であろう教え子がAO入試で難関大学2校に合格しました。本人の喜び勇んで書くには「○○大、□□大、制覇」。つまりゲーム感覚なのです。己を誇示する利権をゲットした感覚なのです。これはしかし今の子を取り巻く価値観の限界でもあります。1校は私の母校です。本来、学を志すなら、虚心から尊い学風を学ばんと、学祖と建学の旨意に敬慕の念を抱いて学府の門をくぐるべき。それが大学人の礼節であり心得でした。その子は、将来は英国の最高学府で修士を得たいとまで志望書に書き、しかし動機は皮相の権威によっているだけで、まるでOxについての理解は無し。
北園
URL
2006/11/15 20:49
私は下書きを読んだとき赤面しました。すぐに皇太子殿下の留学時の著書を読ませました。
ただ、その本旨についての理解に及ばないのか、「読みました」と返してきても、とくに感銘は申しませんでした。それくらい、今の高校生は、物事の本質の価値に無頓着ですし、理解に及ぶだけの教養と思想に乏しいのです。幼稚なのです。「ゲットした」が関の山。
 
況や、私は今、全ての授業をストップしたい心境です。古典も英語も数学も理科も…。
本来、何を学ぶべきか、進学とは何なのか、生きるとは何なのか、文化立国の幸福とは何なのか、ひとまず立ち止まって、本道に立ち帰り、志を日本人全員に考え直してもらいたいのです。そうでなければ、全ての策は愚挙に盲進します。
北園
2006/11/15 20:50
所詮、英語の早期教育を望むといっても、エリートになり得る子と親の言い分が大半でしょう。(多くの低学力の子には縁のない話です。)まるで、西洋文明の上澄みを弄び、自己肥大して太平洋戦争の傲慢と破滅に陥った近代の祖国の過失をみるようです。かつては軍部為政者の専横でしたが、今は主権者である国民大衆自らが愚劣に迷走しているではないですか。'70年安保世代の方々は政府為政者を責めることをスタイルと思われているのか、しかし、主権者であるご自身の思想と主体性、志を本当に真摯に磨かれているのかというと、私は疑問を強くします。貰い物の民主主義に甘えてきたのでしょう。今の若者と子供達は、いわばこれら大人世代の浅薄さの犠牲者です。そのことの責任の重大さをどうか噛み締めて下さい。ねるおさんには、ぜひ、本校の松柏講座などで、今どきの高校生に語って戴ける機会を願います。「心からの声」を語れる大人は教育関係者の中にも本当に稀有となった今ですから。
北園
2006/11/15 20:51