群馬県榛名山は映画「湖畔の宿」で有名な美しいカルデラ湖や「竹久夢二伊香保記念館」を有する標高1,391mの風光明媚な上毛三山の一つですが、古道、鎌倉街道からこの山に入る里見の地に県下屈指の歴史ある寺院で阿弥陀如来を御本尊とする天台宗里見山光明寺(こうみょうじ)があります。西暦1023年に比叡山横川の源信僧都の弟子、明慶上人がこの榛名山に仏道の修行の為に登ってここに草庵を結んだのがその縁起とされ爾来982年もの歳月を重ねて今日に至っています。実はこのお寺は安土桃山時代の侘び茶の完成者である千利休の太祖であり南総里見八犬伝でも有名な里見一族の太祖、里見義俊が1170年に葬られて眠っている地でもあります。千利休の父は田中与兵衛と言い名字は田中姓(千は氏)で彼の直系の先祖、田中義清はこの里見義俊の二男にあたります。里見義俊の父親は新田義重と言って源義家の孫にあたり新田源氏の祖でもあるのです。すなわちこの里見郷を起点として後の世に千利休や南総里見一族、新田義貞等歴史上の人物が生まれ出ていることになります。 現在の光明寺の筒井泰道ご住職を通じて初めてこのお墓の存在を知った裏千家、第15世家元の千宗室氏が平成8年6月にこの榛名町の里見の地に墓参に訪れ厨子にまつられた千家の太祖、里見義俊公のお位牌に初めて面会され大変手厚く供養されました。その時千宗室氏は「これを機会にご先祖の大切さを一門に伝え、一族で改めてこの寺で献茶式を持ちたい」旨のお話があり、平成16年3月7日に第16世襲名をご先祖に報告する趣旨にて、添付の写真のとおり第16世千宗室氏により太祖里見義俊公への墓参と茶室で裏千家淡交会関係者により献茶式がこの光明寺で厳かに執り行われました。 日本の茶道は和・敬・清・寂を宗(むね)として仏道修行の根幹にも通じ簡素の中で一期一会のまごころを込めて茶を献じることにより己の精神性を高めて磨きをかける修行道としてわが国が世界に誇れる品格高い固有の伝統文化であります。お家元自ら一門の先祖を敬い感謝する高い精神に支えられてこそ、この伝統文化を護り継承し発展させて行く原動力になっていることを思い深く敬意を表したいと思います。 もとより日本の仏教、とりわけ各地方の寺院は檀家それぞれが先祖を敬うことを重要視してきておりこのことは親や子や兄弟の絆を大事にすると同時に地域社会のより良き連帯感を醸成しひいては民族としての誇りと伝統と文化を護る重要な役割を担ってまいりました。近年に入り連帯を重視する農耕社会から個人主義が横行する都会社会にその中心が移るにつれ殺伐とした事件が数多く発生し大きな社会問題化しつつあります。 まさにこれらの大きな社会問題に対してもう一度「そうであってはならない」と大きく主張している燦然と輝く存在が日本の茶道界であり各地方の多くの檀家を持つ寺院であることを思うとそれぞれの更なる発展に日本再生の鍵があるような気がいたします。この光明寺は天台宗祖最澄の教えである「一隅を照らす」そして「己を忘れ、他を利するは慈悲の極みなり」の高邁な精神を堅持標榜しています。 この天台宗派や裏千家一門の茶道に限らず、わが国のどの宗派もどの文化もすべて高い精神性に支えられていることがわが国文化の特徴であることを再認識しますと、それらを生み出して育んだ、我々のご先祖をもう一度改めて見直して誇りに思い敬うことの大切さをこの里見山光明寺での千宗室一門による献茶式は発信しているのだと思います。 備考)写真は里見山光明寺ご住職、筒井泰道様のご好意により掲載させていただいたものです。 |
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素晴らしいお話でした。千利休が南総里美八犬伝のご先祖様と新田義貞に繋がっているなど全く知りませんでした。私は八犬伝も読んだ事がなく、新田義貞も歴史でチラッと勉強したくらいの知識しかありませんが、800年を経た平成の世に末裔の方がお位牌に面会、手厚く供養されたというお話はとても心打たれます。これこそご縁ですね。ご太祖様はさぞ喜ばれた事でしょう。 |
ミータン 2005/11/08 00:31 |
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